音楽の外側にある不一致

アマチュアビッグバンドは、よく揉める。

もちろん、すべてのバンドがそうだと言うつもりはない。
和やかに続いている団体もあるし、長く活動している素晴らしいバンドもある。

ただ、長く音楽の場にいると、揉めたビッグバンドの話はそれなりに耳に入ってくる。
そして不思議なことに、その揉め方にはどこか似たところがある。

たぶん、揉めているのは音楽そのものだけではない。

ピッチが悪い。
リズムが合わない。
セクションが揃わない。
そういう問題はもちろんある。

けれど、実際に揉める時、話はもう少し音楽の外側に出ていることが多い。

何を目指すのか。
誰が決めるのか。
どこまで厳しくするのか。
誰のために演奏するのか。
楽しく続けることと、上手くなることのどちらを優先するのか。

そのあたりが混ざり始める。

アマチュアビッグバンドには、いろいろな人がいる。

上手くなりたい人。
人前で演奏したい人。
仲間がほしい人。
地域のイベントに関わりたい人。
居場所がほしい人。

どれも否定されるべきものではない。

ただ、それぞれが見ているものは少しずつ違う。

ある人にとっては、音楽的に良い演奏をすることが一番大事かもしれない。
別の人にとっては、参加者が楽しく続けられることが大事かもしれない。
また別の人にとっては、お客さんに喜んでもらうことが大事かもしれない。

どれも間違ってはいない。

だから厄介なのだ。

同じバンドを見ていても、人によって見えているものは少しずつ違う。
だから、解釈も一つにはならない。

音楽への解釈。
運営への解釈。
人間関係への解釈。
継続するための解釈。

それぞれが少しずつ違うものを見ている。
そして、それぞれにそれなりの理由がある。

問題は、その違いが確認されないまま、同じ言葉で話が進んでいくことだ。

「良いバンドにしたい」と言う。

しかし、その良いバンドが何を指しているのかは、人によって違う。
演奏の完成度が高いバンドなのか。
参加者が楽しく続けられるバンドなのか。
お客さんが喜ぶバンドなのか。
長く存続するバンドなのか。

同じ言葉を使っているのに、見ている場所が違う。

そうなると、会話は少しずつずれていく。

目的の話をしているつもりが、いつの間にか役職の話になる。
音楽の話をしているつもりが、いつの間にか序列の話になる。
楽しく続ける話をしているつもりが、いつの間にか誰かの態度の話になる。

そして、疲弊する。

ビッグバンドは人数が多い。
人数が多ければ、意見も増える。
意見が増えれば、誰かの希望は通らなくなる。

しかも、アマチュアである。

みんな大人で、みんな自由参加で、みんなそれぞれの生活を持っている。
誰かに命令される筋合いはない。
でも、本番に向けては誰かが決めなければならない。

ここで、責任と権限の曖昧さが出てくる。

意見は出せる。
でも責任は取りたくない。
決めてほしい。
でも勝手に決められるのは嫌だ。

こう書くとわがままに見えるかもしれないが、実際にはどれも人間として自然な感情だと思う。

問題は、それらが同じ場所に同時に存在することだ。

アマチュアビッグバンドが揉めるのは、誰か一人が悪いからとは限らない。
人数が多く、目的が複数あり、役割が曖昧で、評価軸も一つではない。

それでも、全員が同じ「バンド」という言葉の中にいる。

だから、少しずつ不一致が大きくなる。

大事なのは、揉めないことではないのだと思う。

揉めた時に、自分たちは何について話しているのかを見失わないことだ。

音楽の話なのか。
運営の話なのか。
居場所の話なのか。
承認の話なのか。
責任の話なのか。

そこが混ざったまま議論すると、話は遠くへ行く。

アマチュアビッグバンドは面白い。

大人が十数人集まって、決して簡単ではない音楽を、仕事でも学校でもない場所で続けようとする。
それ自体がかなり無理のある、そして魅力的な営みだと思う。

だから揉める。
だから面倒くさい。
だから続いた時には、妙な強さがある。

音楽の外側にある不一致は、きっとなくならない。

ただ、それを音楽の話なのか、運営の話なのか、人の話なのか、少しでも分けて見られたら、その場の進み方は少し変わるのかもしれない。