「彼はビッグバンドを分かっていない」
十数年前、そう言われたことがある。
なるほど、と思った。
私はどうやらビッグバンドを分かっていないらしい。
ただ、一つだけ困ったことがあった。
何が分かっていないのかが分からなかったのである。
演奏だろうか。
編曲だろうか。
歴史だろうか。
運営だろうか。
組織だろうか。
考えてみたが、結局よく分からなかった。
私は10代の頃から演奏の現場にいた。
ビッグバンドにもいたし、自分で立ち上げたこともある。
イベントも作った。
運営もした。
演奏の依頼も受けた。
だからと言って、自分が分かっているとは思わない。
世の中には自分より長く続けている人がいる。
自分より深く知っている人がいる。
自分より多くの現場を見てきた人がいる。
そういう人たちを知っていると、「分かっている」と言うのは案外難しい。
本当に分かっている人ほど、簡単には断言しない。
少なくとも私にはそう見えた。
何かを尋ねると、まず前提を確認する。
例外を挙げる。
場合による、と言う。
時代によって違う、と言う。
曖昧なのではない。
知っていることが多いのだと思う。
一方で、人はまったく分からない時、案外静かである。
何を聞けばいいのかも分からない。
何を言えばいいのかも分からない。
だから黙っている。
ところが少し見えるようになると、急に言葉が強くなることがある。
それは違う。
これは違う。
あの人は分かっていない。
少し分かった頃が、一番断言しやすいのかもしれない。
見えるようになった景色が、そのまま世界の全てに見えるからである。
音楽の世界でもよくある。
譜面の読み方を覚える。
セクションの役割を知る。
組織の回し方を知る。
すると急に全体が見えたような気になる。
だが実際には、見えているのは自分が見えるようになった部分だけだったりする。
そこを勘違いすると、自分の物差しで人を測り始める。
自分の知っている形と違う。
自分の知っている手順と違う。
自分の知っている考え方と違う。
だから分かっていない。
そう言えてしまう。
私にもそういう時期はあったのだと思う。
少し知った。
少しできるようになった。
少し言葉が増えた。
その頃が一番、自信満々だった気もする。
今はむしろ逆である。
知れば知るほど、自分の知らないものが増えていく。
だから今でも、自分がビッグバンドを分かっているとは思わない。
ただ、あの頃の私は何を見ていたのだろう、と考えることがある。
たぶん、ビッグバンドという形そのものではなかった。
譜面や編成や役職ではなく、その場で音楽がどう成立するのか。
人がどう集まり、どう続いていくのか。
その場に音楽があることで、何が少し変わるのか。
私が見ていたのは、たぶんそのあたりだったのだと思う。
では、あの言葉を言った人は何を見ていたのだろう。
それは今でも分からない。
ただ、「ビッグバンド」という言葉で指していたものは、どうやら違ったらしい。
分かっていると言うのは案外難しい。
だが、分かったつもりになるのは驚くほど簡単である。