人はなぜセッションに来るのか

あるセッションで、こんな場面を見たことがある。

一人の初心者が、たどたどしくソロを弾いていた。
決して上手くはなかった。
でも、楽しそうだった。

終わった後、だれかがぽつりと言った。

「ああいうのは、ちょっとレベルが違うよね。」

別に間違ったことを言っているわけではない。
実際、上手くはなかった。

ただ、その人が求めているセッションと、その初心者が求めているセッションは、たぶん最初から違ったのだと思う。

セッションホストを長くやっていると、時々聞かれることがある。
「みんな何しに来てるんですか?」
改めて考えてみると、実はよく分からない。
上手くなりたい人もいる。
仲間を探している人もいる。
誰かに認められたい人もいるし、暇つぶしだってあるかもしれない。
どれも不思議ではない。

同じ人でも理由は変わる。

若い頃は上達したくて通っていた人が、数年後には顔なじみに会いに来るようになることもある。

逆に、なんとなく来ていた人が、気が付けば真面目に音楽と向き合っていることもある。

どちらも特別な話ではない。

問題は、ここからだ。
セッションを運営する側に立つと、自分の物差しを持ちたくなる時がある。

このレベルを保ちたい。
こういう空気にしたい。
こういう人に来てほしい。

悪いことではない。
むしろ、こだわりのない場は、それはそれでぼんやりしたものになる。

ただ、その物差しを一人分の理由に合わせて作ってしまうと、危ういことが起きる。

上達したい人だけを歓迎する場は、仲間を探しに来た人を静かに遠ざける。
玄人の空気を大事にする場は、暇つぶしに来た人を居心地悪くさせる。
本人にそのつもりがなくても、だ。
そして、居心地が悪くなった人は、何も言わずにただ来なくなる。

クレームは来ない。

ただ、少しずつ客席が減っていく。
気付いた時には、常連しかいない店になっている。
常連しかいない店は、いずれ常連も減っていく。

セッションが長く続いている店を見ていると、共通していることがある。
上手い人も、そうでない人も、それぞれの理由で居られる余地があることだ。

上達したい人の隣で、暇つぶしの人が笑っている。
ベテランの演奏を、初めて参加した人がじっと見つめている。
演奏をしていない人たちが思い思いに話をしている。

そういう場所は、一見ばらばらに見えて、実は一番丈夫だったりする。

私は考えるのをやめた。

理由は人によって違う。
同じ人でも、時期によって違う。
だから、たった一つの「良いセッション」を目指した瞬間、その基準からこぼれる人が必ず出る。
そして、こぼれた人の分だけ、場は静かに小さくなっていく。

演奏しに来ている。
まずはそれで十分だ。